糸かけ曼荼羅【大阪】 › 糸かけ曼荼羅の世界

2016年05月16日

複雑に入り組んだ現代社会



これは純絹糸。見事に絡み合っています。

糸かけマンダラワークショップでご提供しているオプション糸の一つです。

出来るだけ様々な色合いで、数多く揃えるために、出来るだけ安く入手するため、かせ巻きのものを仕入れて巻き直しています。

今はもう大丈夫ですが、これは、かせ巻き状態のものをはじめてボビンに巻き直そうとして、どうしていいか分からなかった時代に、うっかり手順を間違えてしまったもの。

あまりのグチャグチャさに、長いこと、見て見ぬふりをして放置していたのですが、次の糸を見事に巻き直せたことから、この糸も同じように活かせてあげたくなりました。

地道にほどきはじめると、絡み合った糸をほどくのがすっかり趣味になってしまいました(笑)

なかなか奥が深いです。シュタイナー教育でも手仕事をとても大切にしますが、日本の神話には、神々も天上界では農業してたり機織りしていらっしゃいます。

神道では、“はたらく”は神事のようなものですが、欧米では、労働は、苦役、罰みたいにとらえられているみたいですね。なので、欧米の小学校では、学校で子どもに掃除をさせると、まるで奴隷のように使っているように感じて非難の的になるみたいですね。

しばしばドキュメンタリー番組で登場するのは、子どもが人間関係のストレスで自傷行為をやめられず、体を痛めつけすぎて、元に戻らなくなった方々。

その時に、自傷行為でなく、糸かけマンダラやマンダラ塗り絵、何らかの創作で、手を動かしていれば、どんなによかったでしょう。

そうでなくても、キッチンで豆むきを手伝わせるなど、単純作業をひたすら繰り返す作業で手を動かすことが、どんなに大きな癒しになるか、神道やシュタイナーは、宇宙の法則として、きっと知っていたのだろうと思います。

単純な手仕事をひたすら繰り返していくと、自ら“真理”に気づく段階に至ります。単純な手作業の繰り返しで、いつしか、頭が空っぽになり、思考やエゴやこだわり、執着なども静まるからです。

複雑に絡まった糸を丁寧にほどいていくうちに『 複雑に入り組んだ現代社会に鋭いメスを入れ、さまざまな謎や疑問を徹底的に究明する探偵ナイトスクープ』という、お決まりの言葉が出てきました。

ああ、複雑にいりくんだ現代社会って、この糸のような状態かwと(笑)。

でもね、メスはいれなくても、絡まった糸は優しく揺らすと、徐々に緩んできて、トンネルが現れます。そのトンネルをくぐらせると、あっさりとほどけていきます。優しく揺らすだけで、糸は自ら緩んでいき、簡単にほどける道を表します。それが快感と感動で、糸ほどきが今趣味状態です(笑)。

逆に、イライラして、強引に思う通りにしようと引っ張ると、糸はどんどん絞まっていき、固く結び目が出来て、全くほどけません。

まるで、私たちの心と肉体のようです。

悩みやトラウマ、心の傷も同じことです。

このグチャグチャの糸のように、あまりに絡みすぎて、どこから手をつけていいのか途方にくれて、絶望して、手付かずのまま、放置していませんか?

このグチャグチャの状態は、自分の心や体のエネルギーの通りを阻害している状態をあらわしています。

でもね、実は、物事はとてもシンプルにできています。

あまりに多すぎて、到底これが片付くようには思えず、はるか彼方のゴールに行き着ける訳がないと絶望して諦めてしまっているかもしれません。

あまりに強引に引っ張りすぎて、もうほどくことが出来ず、切って繋げ直さないといけない箇所もあるかもしれません。それは、人間の状態で言えば、肉体を修復不可能なほど痛めつけた結果手術で切らないといけなくなった臓器かもしれません。スッパリ関わりを切らないといけない人間関係かもしれません。多少の痛みは伴いますが、そこは奇跡的な回復をみせ、あたかも、そんなことなど起こらなかったかのように、力強く修復されます。

でも、そこまで行くことは滅多にないので、緩めるだけで十分です。そこまで行く前に早めに対処すれば大丈夫(^-^)v

手仕事は、エゴや執着などの自らを苦しめる思考を止めるだけでなく、エネルギーも動かします。エネルギーレベルで、先に修復するので、後から現実が追い付いてきます。

昔の日本人は、農作業が出来ない冬の季節は屋内で手仕事をしていました。手仕事は、神様に通じる神聖なワークでもあります。

現代人は賢すぎます。いつも頭で考えています。頭脳で全て解決出来ると思い込んでいます。

でも、人間は肉体も持つ存在。肉体にも、別の基本ソフトを持っていて、私たちを助けてくれます。スピリチュアルなエネルギーと繋がることも助けてくれます。

頭脳だけで生きる人は、この糸のように、自らを複雑にして、悩みや痛みや苦しみを作り出しています。それが『複雑にいりくんだ現代社会』なんですねw

自分の中がこんな風なグチャグチャな糸のようになってると感じたら、縄文人になった気分になって手仕事を。縄文式土器も同じ意味合いだと思います。

糸かけマンダラもそうですが、そんなに時間をかけて一生懸命作っても、お金にならないので(笑)時間の浪費にしか思えない人も多いでしょう。

でも、そんな、なんでもお金に換算しないと動けない自分自身が、自らを苦しめ、悩みや苦しみを増やしていることにも気づいてください。

それは『お金を稼げない人間は価値がない。存在価値がない。存在しなくてもいい人間だ』と自らに宣告しているのと同じだからです。それ、奴隷ですよ(^-^; 稼げない奴隷は役に立たないから捨ててしまえ、売ってしまえ と言っているようなもの。壊れた機械は捨てて新しいものを買うのと変わらない。

でも、人間は、奴隷でも、機械でもありません。神様と同じ存在です。自ら神様と繋がって思い出して下さい。たまには、時間の無駄といわずに、高天原で神々もしているような手仕事もすることで。

ただ、頭を空っぽにして、緩めていくことで、次々ほどけていきます。

傷をおうと、肉体もですが、心もギュッ!と緊張して固くなります。同じ傷をおうまいと自らを守ろうとするからです。痛いから動かしたくないからです。

でもね、肉体にもリハビリが必要なように、心も緊張をほどいて緩めて、少しずつ動かしていかなければ、エネルギーの流れが滞って、別の疾患に繋がっていきます。

以前に深い傷を負ったので、もう傷を受けたくない!とギュッと心身を強ばらせて、なにも見ない、聞こえない状態にとじ込もってしまうかもしれません。

でもね、外はもう春です。そして、あなたは、十分に大人になって強くなった。あの頃は息絶え絶えで生きるだけで必死だったかもしれないけれど、今はもう十分にエネルギーに満ちている。

そろそろ、心身を緩めて、春の風を自らに入れてはいかがでしょう? あとは勝手にほぐれて、次々自動的に勝手に解決していきます。このグチャグチャの糸のように。

ほどけない、いえ、急いでほどかないといけないと焦って、自力で必死に泣きながら、強引に引っ張る必要はありません。自力で頑張らないといけないと思い込んでいる人はそうします。そして、そういう人は、受け取り下手。誰の力も借りない=こだわりの塊、誰も信じられない、もしくは、何にも委ねられない。

昨今の状況をみていると、変容しないといけないのに、これまでの習慣ゆえに、変容の過程に強固に抵抗することで、引き寄せなくてもいい様々な不調や問題をわざわざ引き寄せている人が苦しんでいるような。

どうやら、地球全体のエネルギーも強烈になっていっているようで、人間が発したちょっとした感情もあっという間に増幅して、もう自分でもコントロールできなくなってきつつあるようです。

これまで、内心はドロドロしていても、表面にはそれを見せずににこやかに出来ていた人も、それが出来なくなってきます。内心のドロドロがコントロールできなくなってくるからです。

バカボンのパパを目指しましょう(^^) 発信するものがなければ、共鳴も増幅もしませんから。  


Posted by フラワーエッセンス研究家 葛葉 at 18:25糸かけ曼荼羅の世界

2014年12月10日

糸かけ曼荼羅の世界

糸かけマンダラの世界


発祥は、ドイツのシュタイナー教育(思考や知性だけでなく、霊性も重視する教育)で、素数を子供たちに教える時に作る算数のワークです。九九を教える時にも、10本の小さいピンボードを使って、数が描き出す美しい幾何学模様を子供たちに見せ、体感させることで、論理的な思考以外の部分も育てることを意図しています。

かける数によって、様々な幾何学模様が浮かび上がり、それが、車輪のように、徐々に右回転(または、左回転)して重なっていきます。そのさまが、惑星の軌道に似ていると興味深いことをおっしゃっている方もいらっしゃいます。

エネルギーは、常に回転しています。回転することで、エネルギーが生じるとも言えます。

幾何学模様は、形によって、様々なエネルギーを放射します。

普段は目に見えないものが、糸かけマンダラを作ることによって、疑似的に見えるようにしてくれているようにも感じませんか?

あなたは、数字は好きでしょうか? 苦手でしょうか? 

シュタイナーいわく、算数や数学の苦手は、子供の頃の心の傷が原因になっている場合が多いと言っています。なぜでしょうか? 

目に見える肉体以外にも、人間は複数のエネルギー体を持っています。シュタイナーによると、どのエネルギー体が活発かという個性によって、得意な計算(たとえば、乗算、引き算、足し算 etc.)が違ってきます。シュタイナー教育では、子供たちに、リズム遊びや体を使ったワーク、鮮やかな世界観をもつ物語の中に含めながら、算数を教えていくのですが、その場面場面で、それぞれの子供の個性に合った計算を割り振って出番を持たせるようなこともするようです。そして、徐々に論理的概念を使った数学ができるように導いていきます。

共感覚という特殊な能力を持つ人々をご存知ですか? 

数字をみたり、聞いたりすると、色が浮かんだり、音として聞こえたり、味やリアルな触感などがある感覚です。

そういった方々は、順番に数を見たり、聞いたりするだけで、どれが素数か、考えなくても分かります。なぜなら、素数は、とても美しい滑らかな形をしていて、他の数字と全く色や“手触り”が違うのだそうです。

彼らは、とても記憶力が高かったりもします。音や文字をみただけで、詳細な場面や香り、音が浮かぶので、共感覚を持たない人々が必死に覚えようとして、やっと覚えられるのとは違って、ただ、味や映像、感覚、音として、強烈に印象に残るので、それが直感的に浮かぶのです。

共感覚を持たない私たちにとっては、とても不思議な世界ですが、彼らが数字をみただけで、その数字の持つ波動(音も色も波動です)を明確にキャッチできるということは、もしかしたら、自然界の神秘や宇宙の神秘の片鱗を、彼らは見ているのかもしれません。

数学者は、数字の中に、宇宙の神秘を感じるのだそうです。今でも解明できない数の法則があるそうで、その解読をしようという人が世界中にいるそうです。全く無秩序にしか現れないと思われていた数が、実は、とても美しい法則で現れていたりするそうです。そこには、もう神の存在しか感じられないとも言います。そのため、数学者の中には素数を「神の数字」と呼び、素数の謎がとければ「宇宙の全てが理解できる」と言う人もいるくらいです(糸かけマンダラで、数の神秘を感じられたら、ぜひ、「博士の愛した数式」DVDや本をみると、その美しい世界が感じられると思います)。

ピラミッドも、どうやら、そんな数字のパワーを利用して神秘の力を発揮するように計算して作られているという説もあります。

共感覚を持たない人でも、自分自身を抑圧することなく、自由に、思う存分、自分の才能や能力を発揮して、日々喜びに生きていると、直感やインスピレーションが強くなってきます。チャネリングやリーディング、占いや、ヒーリングなどに携わる人々は、そういった能力を使っています。オーラが見えるのも、その一つです。

糸かけマンダラをしていると、普段は目に見えない、感じられない波動の世界を疑似的に目に見える形で見せてもらっているような気がしてきます。

共感覚の人々が直感的に受け取れている波動の世界。 それは、もしかしたら、人間の全てが実は持っている能力なのかもしれません。

そんな感覚や能力を開く入り口として、糸かけマンダラをなさってみてはいかがでしょうか?

糸かけマンダラを含め、手仕事にも、何か重要なカギがあるようにも感じます。
日本の神話では、アマテラスたちは、天上で機を織っています。これは、勤労の大切さを示すためだと言われますが、果たしてそれだけでしょうか?

天上で機を織っているのは、女性ばかりです。女性が手仕事をすることが、もしかしたら、何かのカギなのかもしれません。

実際に、手仕事をしていくと、いつしか、普段騒がしい思考や分析が止まり、静けさが訪れます。そんな時、直感やインスピレーションが湧いてきます。歴史上の偉人たちも、散歩をしている時や、お風呂やトイレに入った時に、発明が浮かんだという話もよく聞きます。

女性は、もともと神にダイレクトに繋がることができるので、そういう意味で、男性より恵まれているんだとか。ただ、頭の中が日常な些事でいっぱいだと、その能力は発揮されません。

糸かけマンダラを作り始める時に、“何か”のために、または、“誰かにプレゼントする”等、意識設定をしてみてください。そうすると、自分でも、思わぬ色や組み合わせになる作品になったりもします。そうして、出来上がったマンダラを、“なぜ、ここはこの色でなければならなかったのか?”等、思いながら、ボンヤリ鑑賞していると、いきなりその答えがインスピレーションや直感として分かる時もあります。

糸かけマンダラは、何かの入り口として使えるのかもしれません。

ただ、釘を打って、糸をかけるだけの、単純な“手芸”ですが、手を動かしながら、また、自分が選ぶ色を“感じ”ながら、作っていくことで、あなたの中から浮かび上がってくること、感じること、生まれてくるもの etc. を感じてみてください。

(テキストより抜粋)
  


Posted by フラワーエッセンス研究家 葛葉 at 00:56糸かけ曼荼羅の世界